世界

小さな頃は、いつもぼんやりと不安だった。

視界は狭く、何かから外れないように必死に綱渡りをしている気分だった。

わたしは世界のルールを知らないのだ。

はやく果てまで見聞を広めて、この世界を知らなければ。

もしかしたら、ここは誰かが見ている夢の中かもしれないのだ。

 

 

親の家に住んで、お小遣いをもらっていた頃は、行ける場所は限られていた。

茶店に行くことも禁じられていた。コンビニエンスストアも町の外れに一件あるだけだった。本屋で立ち読みをするばかりだった。

高校生になって予備校に通うようになって、夕食をひとりで外で食べるようになった。マクドナルドかケンタッキーかモスバーガーで食べる孤独な自由さ、街の中の白い、小さなテーブルの居場所を見つけたときの安心さは今も変わらない。

一人暮らしを始めて、どんな時間にどんな場所に行くこともできるようになった。真夜中のファミレス、繁華街のラーメン屋、狭い階段を下ったジャズ喫茶、カウンターしかない個人店、緑と光があふれる高いカフェ。

大人になってもやっぱりファーストフードやファミレスやチェーンのカフェが好きだ。変な時間にお腹が空いてしまったとき、知らない町で時間が余ったとき、難しい本に取り組んでいるとき、孤独で暗いへんくつな女をどんと受け止めてくれる。

すばらしく美味しいお店もいくつか知っている。オイルとスパイスをたっぷり使った料理のお店が多い。

大事な考えごとをするとき、元気になりたいときのお店も決まっている。空気がきれいで、他の客も静かで余裕のある人が多くて、店員も干渉しないでいてくれる場所、年期の入った木のがっしりしたテーブルでノートを広げる。

いつまでたっても誰と暮らしていてもわたしは、どこかへ行ってしまいたいし、孤独を味わうことに自由さを感じるままだ。

一軒のお店の片隅のテーブルでその幸福をひとくち、飲み込んでいる。

100円ショップ

100円ショップで買うもの

・水色の生ゴミネット 70枚入り

・半透明の手持ちつきポリ袋 15リットル

・T字剃刀 7本入り

・コロコロのシートの替え 160mm

・貼るタイプの便座シート 白

・雑巾 輪っかが付いているもの

・薄いプラスチックのまな板

・アイシャドウチップ 10本入り

日々わたしはこれらを使い消耗し、携帯電話の買うものリストに入力し、購入し、開封し、使い始める。

汚れたりへたったりゴミになり続けることにうんざりもするけれど、身近で安価、そのうえ業務に耐えうる質でシンプルなものたちに助けられている。

 

 

推理小説

初めて推理小説を読んだのは、小学校の図書室にあった怪盗ルパン全集(ポプラ社)だと思う。

ジャンルは冒険小説にあたるのかもしれないが、この流れでシャーロック・ホームズを読み、同じ作者の同じ登場人物が登場するシリーズを最初から順番に読むという楽しみを覚えたきっかけなので、わたしの中でだけ推理小説に分類されている。

生真面目な児童文学ばかりに触れていたわたしは、成長しきった登場人物、話の運びのスピード、その巻のみで完結する恋愛に驚いた。その分ぐんぐん読み進める快感もあった。

その後間があいて、大学に入学し一人暮らしを始めた頃、好きなように寝たり寝なかったり食べたり食べなかったりする中で推理小説を読み漁るようになった。特に日本の新作を集中して読んだのがこの頃だ。短いものも分厚いものも好き嫌いもせずによく読んだ。百人一首や昔話や宗教や出てくる知識を書き写したり、登場人物を思い描いたり、作者について調べたりしながらも、ひたすらに量を読んだ。スナック菓子のようだと思ったことがある。逃避であり依存であることは明らかだ。

いまも推理小説はよく読む。海外の古典ミステリーを選んで、鞄の中に入れて待ち時間に少しずつ読み進めることが多い。

アガサ・クリスティのように、仕掛けがしっかりしつつも、人物造形や村の情景が書きこまれていて会話のセンスが素敵なものがベストだけれど、人がコマのように並び替えられているものもふむふむと読み進める。

わたしの人生に全く必要のない殺人事件に没頭できることは安心で幸福な時間なのだ。

 

玄関

玄関の靴箱の上に小さなスペースがある。

紺色の海原の写真を引きのばして、額に入れて置いている。

そのまわりに、今年行った美術館のポストカードなどを並べることにしている。

スヌーピーミュージアムトミカ

ジブリ美術館のタイガーモス号のイメージイラスト。

サンシャイン水族館のクラゲのポストカード。

水戸芸術館内藤礼のポストカード。

出不精なので、いつも数は多くない。

年末にはしまって、額縁の写真のみになる。

 

beautiful day

深い眠りから目が覚めても、暖かい布団の中でぼんやりとしていた。

夢の断片が頭をよぎる。

清潔な床、友人の笑い声、ざわめく木々の枝、そんな夢だった気がする。

ベッドからゆっくりと降りて寝室を出る。

古びた白いカーテンと窓を開けると、冬の透明な光が、隣の家の屋根に反射して、部屋の中を満たす。

こころゆくまで味わって、それから一日をはじめていこう。

 

万華鏡

万華鏡をひとつ、持っている。

ずいぶん前に赤坂のお店で購入したものだ。

ガラスとアイアンでできていて、赤いガラスの長方体の端に小さめの円筒形が曲面を接していて、円筒形ををつらぬく金色の棒をつまんで回す仕様になっている。

三角の覗き穴から見ると、ベルベットの様な赤とペールグリーン、黒や紫のアクセントがきらきらと華やかにゆっくり動いていく。

手元にはないが、キットを制作したこともある。

筒に和紙を張り、シャーレ状の入れ物に鉱石やビーズを入れ、三面の鏡を内側にして隙間なく繋げるところに苦労した。

万華鏡展に行ったこともある。頭よりも大きい巨大なものや、あちこちに部品をはめながら見るものや、ぴかぴか光るものがあった。端にあった、小さな銀色の馬車や靴や魚を模したオブジェが鎖でつながれていて、ひとつひとつが万華鏡になっているものに惹かれた。

おそらく最初に触れたのは赤い和紙を貼った郷土玩具だと思うが、最初に覗いたときから変わることなく、万華鏡には異国情緒というような、なにか自分から遠くて近寄りがたい、どちらかといえば居心地が悪いのに、その高貴さに憧れてしまうような感情を覚える。

国立にあった羅生門という喫茶店に入ったときのような。

わたしの家の窓際にぽつんと置いてある万華鏡も、ほこりをはらうときもたまに回しながら覗くときも、いつもいつまでも遠い存在のままだ。