バター

子どもの頃、うちに大人がいないときは、家中を探索した。

タンスの中の婚約指輪を発見し、押し入れの天袋の天井裏に入り、冷蔵庫のバターを食べた。

乳白色の楕円形の容器から、セットされたバターナイフでたっぷり掬いとって、食べた。

婚約指輪は隠され、病気になるから天井裏には行かないように言われたが、バターのことは何も言われなかった。

その後も何度か、食べた。

大人になって、友人の結婚披露宴にて、「今朝作りたてのバター」が出された。

どこまでも軽くて、油くささのない、ふんわりした、うす黄色のバター。

いつか、自分でつくることを夢見ている。

水に溶ける

車や電車に乗っていて、遠くに海がちらっと見えたときの喜びは、小さな頃から変わらない。

夏でも冬でも、気の進まない旅であったとしても。

どんなに小さな面積でも、見えなくなるまで真剣に見つめている。

容量の差か、湖や川だと、少し興奮度は下がるものの嬉しく見つめる。

プールやお風呂や顔を洗うときも、その幸福は含まれている。

海を見ているとき、水に触れているとき、自我の輪郭は溶けていく。

実際の現象とは異なるだろうが、「海の藻屑になる」という言葉から連想されるイメージは、なんだかとても落ち着くものだ。

 

チーム・バッカス

生まれつき、お酒がつよいのだと思う。

お屠蘇や、チョコレートボンボンや、親にからかわれて少し味見をした経験の後、友達の家で缶に入ったスクリュードライバーを飲んだ。

友達の顔が赤くなっていくのが羨ましかったのを覚えている。

大学の頃、赤玉ワインを飲みながら、一晩で百枚絵を描いた。

夕暮れを見ながら、白ワインの炭酸割りをのむのが好きだった。

晦日は神楽坂でどぶろくをのんでいた。

ホラー映画を観ながらウィスキーをのんで癒されていた。

独りでのむと美しさが冴える。

他人とのむと自分が何を求めているのかが露になる。

いまはあんまりのまない。

学びを終えて、チーム・バッカスは解散。

遠くへ

迷子の呼び出し放送の仕事をしたことがある。

こどもや親が申告する場合が多かったが、スタッフや他の人が連れてきたり、自分が発見することもあった。

泣いていたり、しょんぼりしているこどもに話しかけ、手を握り、背中をたたいて椅子に座らせる。

彼らはわたしを信頼に値する人間か判断し、名前と年齢をつたえ、迎えにきた人物が誰かを判断するのだ。

家族のもとへ向かい、甘えるためや怒りのためにさらに泣くこどもを見ながら、いつも親とはぐれたかった頃の自分を思う。

どんどん遠くへ行けよ、と思う。

「アンダーカレント」豊田徹也 講談社

  関口かなえは、亡くなった父の後を継いで銭湯を営業している。2ヶ月ほど前に夫が失踪したため、木島のおばさんと二人では続けることが難しい。銭湯組合の紹介で堀という男性を雇うことになった。

 おそらく下町、主人公はショートカットで凹凸が少なくさっぱりした見た目、親戚や同級生やシングルマザーやふらふらしたお爺さんや探偵が現れる。

 虚無を抱えた主人公と下町と他人との軋轢や交流、いちばん苦手な路線ではある。日々の生活感や決まりきった文句やら、現実の人生でうんざりすることをしつこく救いなく描くものが多いからだ。

 ストーリーと環境設定はそれに分類されるものの、読後感はまったく違う。はっきりと文字にできないが、すごくさびしいような、せつないような、ぐっとくるものがある。

 映画を描きおこしたかのような装飾の少ない絵柄とコマの運び。登場人物はそれぞれの人生を自分で抱え、他人にその重さを感じさせないようにする気高さを持っている。だからこそ、他人のもつ虚無をおもいやれる。それとは感じさせないほど、密やかな愛を、セリフではなく感情ではなく、表現した作品だった。