万華鏡
万華鏡をひとつ、持っている。
ずいぶん前に赤坂のお店で購入したものだ。
ガラスとアイアンでできていて、赤いガラスの長方体の端に小さめの円筒形が曲面を接していて、円筒形ををつらぬく金色の棒をつまんで回す仕様になっている。
三角の覗き穴から見ると、ベルベットの様な赤とペールグリーン、黒や紫のアクセントがきらきらと華やかにゆっくり動いていく。
手元にはないが、キットを制作したこともある。
筒に和紙を張り、シャーレ状の入れ物に鉱石やビーズを入れ、三面の鏡を内側にして隙間なく繋げるところに苦労した。
万華鏡展に行ったこともある。頭よりも大きい巨大なものや、あちこちに部品をはめながら見るものや、ぴかぴか光るものがあった。端にあった、小さな銀色の馬車や靴や魚を模したオブジェが鎖でつながれていて、ひとつひとつが万華鏡になっているものに惹かれた。
おそらく最初に触れたのは赤い和紙を貼った郷土玩具だと思うが、最初に覗いたときから変わることなく、万華鏡には異国情緒というような、なにか自分から遠くて近寄りがたい、どちらかといえば居心地が悪いのに、その高貴さに憧れてしまうような感情を覚える。
わたしの家の窓際にぽつんと置いてある万華鏡も、ほこりをはらうときもたまに回しながら覗くときも、いつもいつまでも遠い存在のままだ。
電話
スマートフォンを持っていない。
持っている人にとって、電話とはどのような存在なのだろうかと考える。
四六時中触っていて、いつも持っているもの。息をするように滑らかに、LINEやゲームやネット検索をしているもの。
その中の機能の一部に電話がある。
ほんとうに緊急だったり、職場だったりごく僅かな使用頻度の、縁遠い存在だろうか。
わたしにとっても、身近ではなくどちらかといえば苦手なほうだ。
用件を伝える短いものを除けば、家族からの生存確認だったり合否連絡だったり勧誘だったり、緊張感を伴うものが多い。
それでもなぜか、ロマンチックなイメージが電話という単語にはある。
天井の高い、観葉植物のある部屋で、深夜か雨の日に電話を待っている、というような。
四六時中触っているものではないのに、部屋のすみで存在感を放っている。
若い恋人たちには、電話はコミュニケーションツールではないかもしれない。
たとえばLINEの頻度の差など、他者に幻想を抱くがゆえに際立つずれはあると思う。
物語に華を添えるような、新たなロマンチックな場面があるのだろうか。
塩
家には3種類の塩がある。
さらさらした海塩と岩塩と昆布の味がする塩だ。
別に料理が上手で使い分けている訳ではない。
使いこなせないので、いつまでも減らないのだ。
岩塩は鉱物だそうだ。自然の力で結晶化したもの。
コート
お洒落な人は、秋冬の重ね着の季節が好きだと聞く。
私はお洒落ではないので、重ね着が苦手だ。
天気予報や予定を考えても、それにぴったりと合う服はないのに、さらにトップスとカーディガンと上着を合わせるなんて。
そして、コート。
いくつかのコートを買って、着て、処分してきたが、ほんとうに満足したコートに巡り会ったためしがない。
小さな頃の真っ赤なコート。中学の頃のベージュのジップアップコート。高校の頃はミリタリージャケット。茶色のコーデュロイのコート。GAPの黒い重いコート。ダウンジャケット。
どれも合わせづらかったり、重ね着できなかったり、逆に太って見えたり、すぐにくたびれたり。
洋服を買う時に、ぱっと欲しいと思うかと安さしか考えないのが原因だと思う。コートを購入するには、ほんとうに上質なものを買う勇気と、条件を満たしているか確認できるクリアな頭と体力が必要なのだ。
乾いた空気と白い光、落ち葉を踏みしめて歩くとき、あたたかくて重すぎない、ここから何年も大丈夫だと思えるお気に入りのコートを着て、自由な気持ちでいたいと思う。
掃除
理想の掃除はお寺の掃除。
頭も胃腸も心も掃除済のお坊さんが作務衣を着て、毎朝掃除をする。
物が少ない室内は磨き上げられ、木の床は黒く光り、風が通る。
薄着と冬の庭は寒そうなのに、清々しさを感じる。
友人と古い一軒家に住んでいた頃、私の部屋は四畳半の和室だった。
荷物はトランクひとつ。床の間に全ての洋服をかけ、畳の上にはちゃぶ台とたたまれた布団しかなかった。
休みの日に掃除機をかけて布団を干す。あの頃は心の中は嵐だったが、掃除は理想の形に近かった。
今は多すぎる荷物(主に本と情報)に複数の部屋、やる気と時間を計って膨大な掃除量にうんざりしている。洗濯機とベランダが小さいため、洗濯にも毎日毎日追われているように感じる。
ものを減らし、掃除を効率化し、どこまで掃除するのかラインを引いて、プレッシャーを減らしたい。
家事を身軽に、幸福にやり遂げたい。
両親
家族仲が良かったわけではない。
父親は昔ながらの一番風呂と上座にこだわり、ひどい癇癪持ちで、嫌味を言わずにはいられない人だった。自分のことは秘密主義で他人の価値観は認められなかった。
しかしその自分の価値観と世界を作り上げるパワーで、事業を興して成功させ、家族を養って、家を何軒か建て、見事な庭を作り、犬をしつけ、今もITや趣味に邁進している。
母親は目立たないことが一番の人で、逸脱していないかをとても気にしていた。着飾ることを嫌った。あまり感情の上下がなく、褒めることが下手だった。
料理は不得意だったが手先は器用で、日本画やピアノを習っていた。いまもクラシックコンサートに行くことが一番の楽しみらしい。
わたしは理想の子供像を押し付けられ、自分の価値観は否定され、自己肯定感が低いままに大人になった。
しかし両親に一番感謝していることは、善良さを教えてくれたこと。きちんと働くこと、弱者に優しくすること、誰も見てなくても頑張ること、日々努力すること。言葉にして教えてくれた訳ではなく、おそらくそこの部分が両親の生き方の根本だったのだろう。
わたしが人に教育し、アドバイスし、誘導する立場になっても、人に伝わるのはその部分だけなのかもしれない。