「バカの壁」養老孟司 新潮新書

養老孟司さんが話した内容を新潮社編集部の人が文章化、2003年に出版された。

理解を深める際に、難解さや時間や環境で、理解を諦める瞬間がある。つまり自分の脳で、壁を作って、放棄を決定することを「バカの壁」と表現。

大衆をバカにしているのではなく、無意識に壁をつくり、考えられていないものごとのなかに、世の中を幸福にする価値観のヒントがあるのではないか?と提案しているのだと思う。

具体的には

個性の尊重と教育の現場で言われているが、学問や文明の自然の流れとしては、できるだけ多くの人に共通の了解事項を広げていくことによって進歩してきた。個性を伸ばせなんて言わない方がいい。親の気持ち、友達の気持ち、ホームレスの気持ちと共通理解を広げるやり方がまともだ。

かつては「誰もが食うに困らない」という理想のひとつの方向があったが、実現したことによって社会全体の目標や価値観が無くなり、大きな共同体が崩壊している。共同体は、構成員である人間の理想の方向の結果として存在している。しかし現代ではその理想の方向・人生の意味が、ばらばらであったり、無意味ととらえられているように感じる。「誰もが食うに困らない」に続くテーマは「環境問題」ではないかと提案。また、今までよりは働かなくても食えるようになった分をどうするかを考えていない。

金というと、現実的なものの代表と思われがちだが、金は現実ではない。経済には「実の経済」と「虚の経済」が存在している。「実の経済」とは物資の移動やそのコストの対価として支払われている金。しかし政府が自在に印刷できるため、現物との関係性がなくなっている。信用経済になっている。枯渇するものとして、エネルギー(石油)を基本貨幣単価にした方がいいのではないか?「虚の経済」とは金を使う権利だけが移動していること。ビル・ゲイツが何百億ドル使う権利を持っていて、その権利が他人に移動しても、第三者には関係がない。無駄にお金を回し続けないと経済が成り立たないという思い込みが世界の常識になっている。

 

個人的には、an appleイデア(脳内)のリンゴ、the apple=実体としてのリンゴという話と、学者は人間がどこまで物を理解できるかということを追求し、政治家は人間はどこまでバカかというのを読み切らないといけないという話が興味深かった。