かばん

興味はあるけれど、そんなにセンスがあるわけでもない。

透明ビニールのちいさなポシェット、ヴィヴィアン・ウエストウッドの茶色い手提げかばん、無印良品のベージュのナイロン製ビジネスバッグ、古着屋で買った金のチェーンがついた黒のポシェット、真っ白な斜めがけかばん、黒い編み目状の大きめの肩掛けかばん、あずき色の友達のお下がりのかばん、赤いリュックサック。

いままで自分が購入したかばんを思い返せば、流行にのったり、自意識過剰だったり、恥ずかしさが先に立ってしまう。

大学生たちを観察してみれば、トレーナーにリュックサックを背負って、そのバランスの良さに感心してしまう。

幼い頃は田舎で、お小遣いもなく、自転車をのりまわすだけの子供だったので、最初に身につけたかばんはランドセルだったと思う。

まだ男の子は黒、女の子は赤という選択肢がほとんどだった。

学校で1人か二人くらい茶色のランドセルの子がいるくらい。

わたしはもちろん素直に赤のランドセルを背負っていた。給食のパンが食べきれなくて、よく持って帰ったために、中にパンの匂いがしみついてしまっていた。横に薄いポケットがついていて、たまに竹の30センチ定規を差して持っていくとき、きちんとかばんを使っている気がしてわくわくした。ランドセルを忘れたことは一度もなかった。

小学4年生か5年生くらいだったと思う。弟と一緒の子供部屋で、畳の上に置いた自分のランドセルを見て、ふと思った。あまりにぴかぴかしていて、ちっともおしゃれじゃない。小学校を卒業するまでに、上蓋の端は剥げて茶色くなっていて丸くめくれ上がっていて、皮の表面は全面しわしわになるくらいが、格好いいのに。充実した小学校生活を送っている感じがして。

そう思ったわたしは、ランドセルは置いた状態のまま自分がはいつくばって近づいていき、ランドセルの上蓋の右上あたりに噛み付いた。

その歯形は卒業するまで残っていた。とくに端が剥がれたりすることはなく、微妙に使い込まれたランドセルの上蓋に。

かばんについて思うとき、そのいびつな思い出や自分のバランス感覚のなさが去来して、複雑なきもちになってしまう。