親の家に住んで、お小遣いをもらっていた頃は、行ける場所は限られていた。

茶店に行くことも禁じられていた。コンビニエンスストアも町の外れに一件あるだけだった。本屋で立ち読みをするばかりだった。

高校生になって予備校に通うようになって、夕食をひとりで外で食べるようになった。マクドナルドかケンタッキーかモスバーガーで食べる孤独な自由さ、街の中の白い、小さなテーブルの居場所を見つけたときの安心さは今も変わらない。

一人暮らしを始めて、どんな時間にどんな場所に行くこともできるようになった。真夜中のファミレス、繁華街のラーメン屋、狭い階段を下ったジャズ喫茶、カウンターしかない個人店、緑と光があふれる高いカフェ。

大人になってもやっぱりファーストフードやファミレスやチェーンのカフェが好きだ。変な時間にお腹が空いてしまったとき、知らない町で時間が余ったとき、難しい本に取り組んでいるとき、孤独で暗いへんくつな女をどんと受け止めてくれる。

すばらしく美味しいお店もいくつか知っている。オイルとスパイスをたっぷり使った料理のお店が多い。

大事な考えごとをするとき、元気になりたいときのお店も決まっている。空気がきれいで、他の客も静かで余裕のある人が多くて、店員も干渉しないでいてくれる場所、年期の入った木のがっしりしたテーブルでノートを広げる。

いつまでたっても誰と暮らしていてもわたしは、どこかへ行ってしまいたいし、孤独を味わうことに自由さを感じるままだ。

一軒のお店の片隅のテーブルでその幸福をひとくち、飲み込んでいる。