外苑前
「フィリップ・パレーノ展」を観にワタリウム美術館へ行く。
外苑前駅を出て、フォルクスワーゲンやベンツの車を横目に、てくてく歩いてゆく。
地図も書いてきたけど、初めてこの辺りに来た大学生の頃やバイト先から夜中に歩いて帰った頃や友達の披露宴にきたときをくるくる思い返しながら、246に当てはめて探るようにして向かった。
signもベルコモンズも無くなっちゃったんだな。オリンピックの旗が街灯に掲げられて、風にゆれてる。でも古めかしい定食屋さんはまだ残っていた。
受付の横にコートをかけて、エレベーターで2階に上がる。
美術館へ行くときって、その街の雰囲気やスタッフの人や鑑賞している人のことまでぜんぶ受け止めてしまうから、自意識が居心地わるくなってしまう。
美しくて素晴らしい人々の中で、自分の至らなさが丸見えになってしまう気持ち。
それでも必死に居心地わるい中にとどまって感受性のセンサーを広げて、作品とその場所にいることから感じることを受け止めようとする。
キラー通りに面した大きな窓からの外光のみの暗い部屋に、透明なアクリル板と蛍光灯とネオン管がついた装置が置いてある。
すこし待っていると突然ライトが点滅し始める。天井のライトも。ジジジとスピーカーから音が聞こえる。
部屋の真ん中には大きな灰色の石が設置され、日本語の朗読が響く。
奥には溶けて目鼻立ちのない氷の雪だるまがいて、足下から溶けた水滴の音が反響している。
青白いライトの不規則な点滅、スピーカーからの機械音、コードをまたいで移動していく鑑賞者。
なぜか孤独な男性の出てくるアメリカ映画のセットを見ているかのような気持ちになった。