四つ葉のクローバー
小学校5年生まで、低山のすそにある住宅街のはずれに住んでいた。
その住宅街はまだ開発中だったのか、土を盛り立て、ごつごつしたコンクリートの石でせき止めてはいたものの、そこら中に空き地があった。
わたしとそこの子供達は、仕切りを飛び越えて、そのへんを走りまわっていた。ときにはゴミ捨て場の屋根に飛び移り、となりのお家の屋根まで跳ねまわっていた。
地鎮祭の注連縄には近づかなかったけれど、ロープで部屋割りの見当がつけられていれば、どこが台所でどこが寝室か推理していた。
ほうっておかれた空き地には、ふきやつくしやぺんぺん草や名前の知らない草たちであふれかえる。
おままごとの材料はもちろん、ときには理由もなく引き抜いて、どの草が抜きやすいのかはよく知っていた。
そして、クローバー。
もっと葉のうすい、似た草も生えていたけれど。
きれいな緑色に白いぎざぎざの線が入った、やわらかなクローバー。
しろつめくさの花冠がうまく作れなかったわたしは、もっぱら四つ葉のクローバーを探していた。
葉っぱが重なって、どれも四つ葉に見えたけれど、
一つの群生を、じっと、じっくりと見つめて、これと思うところに手を入れて、かき分けてゆく。
ある日、わたしともう1人の女の子は、一番手前のクローバーの群生が、全部、四つ葉のクローバーであることを発見した。
びっくりして、我を失ったわたしたちは、まわりの砂をその群生にかけて、埋めてしまった。
よく見ることも、摘み取ることもせず。
ほかの人に摘み取られることが恐かったのだろうか。
砂の下に隠して、いつかゆっくり眺めるつもりだったのだろうか。
もし今見つけたのだったら、そのときに幸運を受け止めて、まわりの人に教えて、枯れてゆくのすら見守ることができただろう。