太陽様

ごく稀に、男性でも女性でも、太陽様だと思う人がいる。

生来のプラスのパワーを放って、押しつけがましくないのに、その場を満たす人。

オレンジ色に笑って、善良で、人間を信じていて、他人のためにきちんと動ける。

 

健全な思考(欠点があっても、開放的で愛が確固としている)の家族に愛されて育ち、

金銭的な問題もそれ程無く、

見た目もほど良く、

愛を返せる方向へ進める勘の良さを持ち合わせ、

そこそこ努力も出来る。

自己肯定しなきゃならないことから解放されている。

 

容姿や財産や才能ではなくて、こういう人が、ほんとうに神に愛された人だと思う。

たぶん、3000人に1人くらい。

フィクションの中にはいない、遠くのコミュニティにいるだけでありがたい存在。

共同幻想

女の子が多分にそうであるように、小さな頃は性に対して潔癖だった。

汚らわしく恥ずかしいことであると、外部からのイメージによって刷り込まれた。

その後になって、様々なバリエーションの情報を得て、

動物の繁殖や、色っぽい美しい女性や、妊娠も含めた、自分が許容できるイメージを受け取った。

そして個人的な幻想を温めている。

自分が色気も兼ね備えた魅力的な女性で人から求められているという自己充実感。

そして愛を得たという満足感。

満たされている自分。

健康で、清潔で、幸福で…。

そこに相手の幻想の入る余地は無い。

「生命式」という本を読んだ。

そこには男女が共同の認識を持ち得たセックスをする世界が描かれている。

それは幸せなのではないだろうか。

子供の頃から充分に気をつけた共同のイメージを与えられ、本能と個人の幻想を許容することができればいいのに。

 

不倫

多夫多妻が理想だった。

それぞれがお金を稼ぎ、自分の生きたい人生を生きる。

趣味や価値観、生活のだらしなさや人生への真剣味、はたまた性が合う人と共に生きていても、恋をすることを止めなくていい。

わたしのことを一番好き、という状態を永遠に保つことを神に誓わなくていいんです。

子供が生まれたら、母と子の結び付きは何より優先されつつも、お金や価値観をゆるいコミュニティの中で分け合えばいいのではないかと考えていた。

だがしかし、現実の不倫をちらり見ていくと、生活との折り合いがついている人を1人も見かけない。

恋愛が始まれば、自身の幻想(相手との共同幻想ではなく)にすっぽりとはまり込んで、

幻想のお金を使い

幻想のセリフを吐いて

幻想のパフォーマンスをすることになるのだ、必ず。

だから、幻想より下位に置かれた夫あるいは妻は、貶められ納得もできず傷は埋まらない。

つまりコミュニティの中に収まるのは無理なのだ。

幻想をやめるか、コミュニティから離れるしかない。

たくさんの人たちの中でそれぞれの価値観を育てて、どこまでも理性的にスマートに合理的に集約できるかと思いきや、簡単に言葉が通じなくなってしまう。

どうしたら生活が簡単にできるか、感受性を閉じ込めないでいられるか。

万葉植物園

お寺の前庭だけかと思っていたら、左手の狭い通路を抜けて小山の上まで登ることができた。

いちばん奥まったところで、しゃがみこむ。

足元は踏み固められてつるつるした土と木の根っこ。視界は植物と木とその向こうの笹林に囲まれている。

土と落ち葉の匂いを吸い込んで、うっすらと聞こえる車と葉ずれの音を静かに感じて、ぼんやりしてきたら、上を見上げる。

のびあがって放射状に広がっている枝先と無数の葉っぱの曲線をじっと見つめていると、かすかに、そこからだんだんとざわめきだす。

ふうっとそのまま浮き上がるような感覚にまかせて、

しばらくそのままでいた。

外苑前

「フィリップ・パレーノ展」を観にワタリウム美術館へ行く。

外苑前駅を出て、フォルクスワーゲンやベンツの車を横目に、てくてく歩いてゆく。

地図も書いてきたけど、初めてこの辺りに来た大学生の頃やバイト先から夜中に歩いて帰った頃や友達の披露宴にきたときをくるくる思い返しながら、246に当てはめて探るようにして向かった。

signベルコモンズも無くなっちゃったんだな。オリンピックの旗が街灯に掲げられて、風にゆれてる。でも古めかしい定食屋さんはまだ残っていた。

受付の横にコートをかけて、エレベーターで2階に上がる。

美術館へ行くときって、その街の雰囲気やスタッフの人や鑑賞している人のことまでぜんぶ受け止めてしまうから、自意識が居心地わるくなってしまう。

美しくて素晴らしい人々の中で、自分の至らなさが丸見えになってしまう気持ち。

それでも必死に居心地わるい中にとどまって感受性のセンサーを広げて、作品とその場所にいることから感じることを受け止めようとする。

キラー通りに面した大きな窓からの外光のみの暗い部屋に、透明なアクリル板と蛍光灯とネオン管がついた装置が置いてある。

すこし待っていると突然ライトが点滅し始める。天井のライトも。ジジジとスピーカーから音が聞こえる。

部屋の真ん中には大きな灰色の石が設置され、日本語の朗読が響く。

奥には溶けて目鼻立ちのない氷の雪だるまがいて、足下から溶けた水滴の音が反響している。

青白いライトの不規則な点滅、スピーカーからの機械音、コードをまたいで移動していく鑑賞者。

なぜか孤独な男性の出てくるアメリカ映画のセットを見ているかのような気持ちになった。

彼女の部屋

駅舎の屋根の下を出て、ウルトラマンのおしりを横目に見ながら高架下を歩く。

晴れた午後の日の当たる白い壁を連想する、からりとした街。

「左に大きな金木犀の木があって、その先の右にタクシーがたくさん停まっているところまで来て」と友人は言った。

もとは寮だったというそのマンションは、エントランスを抜けても敷地内には木々が並んでいて、林を進むように、声をひそめて通路を歩く。

部屋の扉を開けると地下へ下る階段と二階へ上がる階段がくっついて並んでいる。

半地下へ降りると、薄暗い白熱電球の灯りのアトリエのような間取り。奥の高い位置に窓があり、中庭の木が見える。猫もふらりと寄るらしい。

壁に貼られた星図の下で、パソコンで映画を観たり、ポルトガルのワインを飲んだり、私の夫と三人でクリスマスケーキを食べたこともあった。

二階のベッドルームで彼女の不要になった洋服や本を並べて、友人たちとのんびり、もらうもらわない、似合う似合わないをジャッジしたりもした。

(グレーの半袖のカーディガンとマーガレットハウエルのパンツをもらった)

炊飯器とテレビのないあの部屋で、彼女は別棟の洗濯室で洗濯をしたり、ホットカーペットの上で朝まで寝てしまったり、仕事に追われたり、恋人にメールをしたり、猫に餌をあげたりしていたのだろう。

引っ越してしまった今も、彼女を思うとき、その頬のあたりにその部屋の灯りのオレンジ色と、地下と彼女の選んだものが混じった匂いが内包されている。

表参道

季節が変わっていき時間が流れることに合わせられずに

呼吸は浅く肩をまるめて視野を狭めて目の端で世界をとらえるようにしている。

ミステイクは鈍く受け流し美しいものはさらりと眉のあたりだけで受け止める。

誰かと会話しているときの自分は輪郭と口先だけになったようだ。

喉が渇いて眠りは浅く首は固まり頭がぼんやりとしびれる。

こんなふうに生きていきたい訳じゃないのに

そんな自分を受け入れられずに

世界にどんどん靄がかかってゆく

友人が愚鈍にみえてしまう。

指摘もせずに胸を重くして自分をどんどん汚していくのだ。