ガーリックスープ

とても寒く暗い夜だった。道路の脇にはまだ雪が残っていた。

コートのフードを被って、あまり顔を動かさないようにしていたので、視界が狭く余計に暗く感じたのかもしれない。

その中にぽつんと、オレンジがかった赤のちょうちんが見えた。ちょうちんには地中海料理と大きく書かれている。

その店でカウンターの席に並んで座り厨房を見下ろしながら、恋人はまずガーリックスープを頼んだ。

そのスープは赤くて、フランスパンが浮いている。ひとくち飲むとぐっと強いガーリックの風味、その後にシーフードの旨みが広がる。

おいしいね、あったまるねと月並みに言い合いながらスープを飲み、その後パスタや魚のプレートを平らげて、美味しさと量と幸福にぱんぱんになって、夜道を帰った。

それから今もそのお店とガーリックスープが私のいちばんのお気に入りになっている。

恋人が見よう見まねで自宅で作ってくれたこともあった。秘訣は信じられないくらいの量の大蒜とオリーブオイルを使うことだそうだ。

長靴

幼い頃に住んでいたところは、たまに雪が積もった。

そのときは内側にボアが付いていて、底がスパイクになっているブーツを履いた。ちゃちなピンク色だった。だんだんとうす汚れて悲しかった。

雨の日の長靴は赤色だった。ピンク色のカッパを着るので派手すぎたのだと思う、居心地がわるかった。母親のオフホワイトで、金色の金具が付いている長靴が上品で羨ましかった。

自分で靴を買うようになってからは、雨の日用の靴を長く持っていなかった。スニーカーばかり履いていたし、お金がなかったし、生活の実用品よりも憧れの品物を手に入れる喜びを優先する年頃だったのだろう。靴の中が雨水でいっぱいになり、がっぽがっぽさせながら歩いて帰り、ズボンをしぼって部屋の中に干して、乾けばそのまま履いていた。靴はタイル張りのお風呂場で石けんで洗った。

布製のスニーカーを履くようになってから、ようやく雨の日用の靴を用意する必要にかられた。

まずはパラディウムの足首まである黒い防水スニーカーを購入した。ごつごつしていて、厚い靴下でもへいきでお気に入りだった。去年の夏に激しい夕立がきて傘をさしてもずぶ濡れになり、雨宿りしている人に笑われて、しょんぼり帰ったら、翌日そのパラディウムの靴が猛烈に臭くなった。今まで隠れていた雑菌が雨水の浸水で爆発的に増殖したらしい。熱湯に沈めようが漂白しようがその生臭さはとれることがなく、処分した。

その後日本野鳥の会の緑色の長靴を購入した。膝下まですっぽりと覆い、上部は巾着状にしぼれるため、浸水することはまずない。ゴムがやわらかくて、雨が降っていなければ畳んで足首サイズにすることができる。使用後は水で砂と汚れをすすいで乾かせばいい。お気に入りで、職場の人にどこのものか聞かれ、二人が購入している。難点は小雨程度の日には大袈裟なことと、わたしの容姿だと農家感がでてしまうことだ。つぎはグレーにしようと思う。

ほんとうは小雨の日用に、またパラディウムのスニーカーも欲しいところだけれど、靴が増えすぎてしまうので躊躇している。実用品は幸福で愛おしいものだが、用途別に際限なく品物が用意されているのもまた息が詰まる。カタログを吟味し、上質さと収入を考えて、幸福と不便さのバランスをとる。わかっていても失敗ばかりだ。

 

 

薬味

父は家事をしない方だったが、夕食が湯豆腐だったときは毎回〆の雑炊を作っていた。正確にいえば材料を用意していたのは母で、父は頃合いをみて立ち上がり、カセットコンロの上の土鍋に冷やごはんを入れ、おろし生姜と葱をたっぷり入れ、蓋をするのだった。ぐつぐつ煮えたら、卵とポン酢しょうゆをまわしかけてできあがり。生姜が辛くてポン酢がしょっぱくて、美味しかった。

知り合いがご馳走してくれたインド料理屋で、タンドリーチキンの付け合わせとしてパクチーのソースが小皿に載せられてついてきた。緑の香りが爽やかでヨーグルトのような酸味と大蒜の塩気が美味しくてびっくりした。

街の中の物産展で恋人が山形のだしを買ってくれた。一見胡瓜の細かい角切りにしか見えないのに、ご飯にかけて口に入れたら、昆布の旨みと茗荷の苦みと酸っぱい味付けが絶妙だった。

挽きたての胡椒、茗荷チャンプルー、生バジル…

ついついバランスを壊すほど足してしまう。

旬の材料と薬味があれば充分だと思っている。

言葉づかい

言葉づかいに関して、すぐ影響されるほうだ。

関西弁のドラマを観れば「ほんまや」と言うし、若者と話せば「やばみ」と言うし、長期の旅行に行けばすぐイントネーションが変わってしまう。

あまり考えずに口に出てしまう部分、相づちや感嘆や語尾の部分に影響が出やすい。

ミーハーであることと、相手との共感を求め過ぎてしまうことが関係ありそうだ。つい、その刹那の楽しさや全体の幸福感を追求してしまい、そんな自分に疲れ自己嫌悪に落ちてしまう。

ほんとうは、流されずに綺麗な日本語を話すひとに憧れている。姿勢もよく、おもねったりしないひとに。

 

結婚式

晴れやかな空の下、白いドレスとタキシードの二人。

きちんと出会ってきちんと結婚し、きちんと世間にご挨拶。

二人も両親も友人も、全員を幸福にする儀式。

もちろんわたしも幸福になり涙ぐんでしまう。

でも、招待状が届いたそのときから、どこかに窮屈で視界が狭くなるような息苦しさと暗さを感じている。

夫婦と家族の気持ちと行動は純粋で圧倒的で素晴らしい。

様々な年代のひとと共有できるように、マナーがあることも理解できる。

しかしそこに付随する、イメージ戦略や洗脳によって余計にお金の量を増やそうとする経済社会の意図が、快くない。

ドレスやフランス料理や時間帯による服装の違いや使ってはいけない言葉やのし袋のかたちや引き出物や、儀式の意図とは遠い様々なものごと。

どうしたら主役たちを祝福できるのかではなく、今までこういう慣習でやってきてるから、高いお金を出してルールに沿って物を揃えて、こういう行動だけしてねとやんわり押し付けてくるのだ。

貧乏で頑固で面倒くさがりのわたしが、すこしだけ素敵で居心地のいい服装で、わくわくしながら集合して、自由に心から祝福できるような世界がいいな。

 

花のにおい

沈丁花は爽やかにあまい。

ふっと鼻先に白い花の匂いを感じて、そのなかにスウィーティーみたいな果汁のジューシーさを嗅ぎとる頃には消えてしまう。つい必死になって小さな花を探してしまう。勝どき橋を思い出す。

ジャスミンはお茶で香りを知った。

広く咲いていることが多く、自転車で通りがかるだけでも、その香りに包まれる。すこし枯れたような枝感が鼻を刺す。肺のなかが日なたの香りで満たされる。どこかの住宅街を思い出す。

くちなしは夜に香る。

輪郭は白粉のようなパウダリーで上品な感じだけれど、つよく甘い香り。湿気を含んで、遠くまでは広がらない。木もそっと隠れている。なだれ坂を思い出す。

金木犀は嫌いだった。人工的な匂いだと思っていた。

秋の青空によく映えるオレンジ。雨に打たれて濃いグレーの道路に散らばっても美しい。少し酸っぱみのある人工的な香りと、甘い黄金色の香りと二種類あると勝手に思っている。四ッ谷を思い出す。友人は私を思い出すそうだ。