両親
家族仲が良かったわけではない。
父親は昔ながらの一番風呂と上座にこだわり、ひどい癇癪持ちで、嫌味を言わずにはいられない人だった。自分のことは秘密主義で他人の価値観は認められなかった。
しかしその自分の価値観と世界を作り上げるパワーで、事業を興して成功させ、家族を養って、家を何軒か建て、見事な庭を作り、犬をしつけ、今もITや趣味に邁進している。
母親は目立たないことが一番の人で、逸脱していないかをとても気にしていた。着飾ることを嫌った。あまり感情の上下がなく、褒めることが下手だった。
料理は不得意だったが手先は器用で、日本画やピアノを習っていた。いまもクラシックコンサートに行くことが一番の楽しみらしい。
わたしは理想の子供像を押し付けられ、自分の価値観は否定され、自己肯定感が低いままに大人になった。
しかし両親に一番感謝していることは、善良さを教えてくれたこと。きちんと働くこと、弱者に優しくすること、誰も見てなくても頑張ること、日々努力すること。言葉にして教えてくれた訳ではなく、おそらくそこの部分が両親の生き方の根本だったのだろう。
わたしが人に教育し、アドバイスし、誘導する立場になっても、人に伝わるのはその部分だけなのかもしれない。
散歩
武蔵小金井を散歩した。
南口から西の方へ歩く。通勤の際に住宅街を歩くときは、敷地いっぱいに詰め込まれた建物や中の様子が分からないように拒絶している窓に息が詰まるのだが、散歩のときは違う。
家が並んでいるのに、誰もいないような静けさ。光が降り注ぐ道路は広々として、自由であふれている。わたしは坂を観察し、カーブミラーをみつめ、金木犀の匂いを嗅ぐ。
はけうえ遺跡をみて、貫井神社に参拝して、滄浪泉園に入園した。その辺りは急激な段差があるのだが、武蔵野段丘あるいは国分崖線と呼ばれる昔の多摩川が流れていた地形とのこと。縄文時代は水場だったから遺跡があるのだろう。いまも湧き出る湧水にさわる。
親子を観察し、おじいさんに紅葉の頃の様子を聞き、TERAKOYAのオリーブサンドとハーブウォーターを買って帰宅した。
大掃除
まず大掃除しなくてはと思い立つ。
ぼんやり浴室のカビ取りや換気扇の油汚れの掃除や片付けなどのイメージが浮かんでいる。
よく晴れた日に早起きして一気にやり遂げて、くたくただけど家はピカピカ、すっきりしたエンディングを信じている。
やり始めてから気付くのだ。大掃除という3文字のなかに、日常の掃除のルーティンワークに含まれない膨大な雑事がまとめられていることに。
大まかに分けると、
・ものの把握と不要なものの処分
・ものを移動させての掃除、汚れと対峙し分析し対処する
・普段みないふりをしていた用事を片づける
他にも必要なものの買い出しや調べものなども必要だ。
たくさんの時間と情熱と体力を持ち合わせた人なら、お祭りのように、例えば一気に処分、一気に掃除、一気に用事をすませることができるのかもしれない。わたしにはできるイメージすら湧かないけれど。
早起きもできないし、効率よくもできないし、すべてを投げ出すこともできないので、終わりを考えず、玄関から地道に始めることにした。
不要な靴を処分し、掃き掃除と拭き掃除をした。これから靴を洗って、修理が必要なものをお店に持っていく。
日常のルーティンワークに組み込めないかを模索し、不要なものや不要な雑事を減らして次回の大掃除の容量を減らす方法を考えなくてはならない。
強制でも仕事でも好きなことでもないのに、休日を使って正解を探している。しみじみと不思議なことだと思う。
終わりがなさそうでいて、どこかに自分の生き方のなかに収まるやり方があるのだと信じている。ひとつ片付けて掃除するごとに確かに幸福はある。
おばあさんとおばさん
なりたいおばあさんのイメージは昔からはっきりしていた。
大きな口を開けて、たくさん笑う。小柄でふくよかで足が小さい。髪はひっつめで、カラフルな布を巻くこともある。はっきりした色のワンピースを着ている。小さな小屋のような家に住んでいる。洗濯物は外に干す。たまに辛口。
昔のヨーロッパのおばあさんの写真やレニー・ハート(年齢ではなく、豪快に笑うイメージとして)さんや、マドンナが食卓にいる広告写真(イタリアのマンマ的に撮影されたそう)や、いじわるばあさんなどに影響されている。
どんなおばさんになりたいかは考えたことがなかった。
いま憧れるのはお坊さんや修道女のような人だ。真っ白な肌に黒い髪、ベリーショートも素敵だ。禁欲的な服装をし、まっすぐに背筋をのばして、色素の薄い目は遠くを見ている。厳しい修行を積んでいるため、世界を受け入れる容量が広い。
いまの生活にたいして自己嫌悪がひどいのだろう、自分の気に入らないところを削ぎ落して、うしろ暗い部分のない状態で世界と対峙したいのだ。
そしておばあさんになった暁には、社会の中での存在感は小さなものでいいのだから、どこか目立たない場所にいる、でも幸福そうに生きていると思われればそれだけでいい。
ワイン
はじめてきちんとワインを飲んだのは、友人がスーパーで買ってきた赤玉ワインだったと思う。その後自分でも買って、赤はそのまま、白は炭酸で割って飲んだ。その友人とその畳の部屋のイメージもあいまって、ほわんと懐かしいあたたかい味を覚えている。
バーでワインのカクテルを女友達と飲んだりもしたが、少し間があいて、オーストラリアのシラーズを教えてもらってから、ぐいぐい飲むようになる。
がつんと強くて酸っぱくなくてどんどん飲んで飲ませて酔っぱらった。
たくさん笑って、恥をさらして、恋をして、また出会って、色んなワインを飲ませてもらった。
だんだん強いものがのめなくなって、華やかな、香りがつよくて軽いものを少し楽しむくらいになった。
いまも、好きなお酒は?と聞かれたら、ワインと日本酒と答えるけれど、日常ではほとんど飲んでいない。夜になって、ひとがテーブルに集まって、美味しい料理とワインに目をきらきらさせて、食べて飲んで語る、そういう機会は、いまはごく稀にしかないからだ。自分でそう選択した。
あっという間に過ぎ去っていった人たちに、感謝と好意を。
人生の後半に、また新たなテーブルとワインを用意する予定です。そこでまた会う人もいることでしょう。